富塚保之助の blog

リアリティーな歌を創作し歌い上げるヴォーカリスト。

おサムライの昔話

祖父保市続き

祖父保市は自由奔放でコミカルな人だった。 祖母 正代との間に10人の子供がいるも家庭をかえりみず旅と遊び好きだった。 家族総出で3ヶ月もかけて焼いた炭を町まで売りに行き。大金を手にして気持ちが大きくなったのか、飲む打つ買うの豪遊して全額使ってし…

祖父 保市

保助と一緒に北海道に移住した富塚一族は開拓民として働く事になるのだが、最終的に「炭焼き」を生業とする。 当時の燃料はまだまだ石油が一般的ではない。石炭か木炭である。 その木炭を焼く技術を身に付けた保助、その長男である保市一家は北海道の山奥を…

曾祖父 保助

私の芸名 保之助は曾祖父 保助から勝手にもらって名乗っている。 保助は慶応の生まれで最後の侍であった。元服を迎えてすぐ日本では武士の時代が 終わり、帰農するかたわら寺子屋で子どもたちに読み書きを教えて生計を立てて暮らしていた富塚家は明治の終わ…

やませ

山背とも偏東風とも書く。 これが吹くと日照時間が少なく冷夏になり、稲作など作物が育たなくて冷害になる。 最近はそんな事にならないが昔は東北地方の貧しい小作農家などは餓死者が出た。 豊作でも不作でも同じだけの年貢を納めなければならないので小作農…

曾祖父、保助

曾祖父保助は幕末慶応の生まれ、若い頃は刀差してちょんまげだったそうな。 廃刀令が明治9年、しかし情報が発達してない時代、しかも江戸東京と違って地方はのんきなもので武士の時代がとうに終わっていても明治20年頃まで元武士などは刀を差していたらしい…

祖父の寝物語

幼い頃、祖父からうちの先祖の話を語って聞かせてくれた。 なにしろ子供だったから意味もよくわからず半信半疑で聞いていた。 昔は東北の偉いサムライだった。 が、何か間違いがあってサムライを首になり それからは寺子屋の先生を代々やっていた。 そんな事…