曾祖父 保助
私の芸名 保之助は曾祖父 保助から勝手にもらって名乗っている。
保助は慶応の生まれで最後の侍であった。元服を迎えてすぐ日本では武士の時代が
終わり、帰農するかたわら寺子屋で子どもたちに読み書きを教えて生計を立てて暮らしていた富塚家は明治の終わりに山形県から北海道へ移住する事を決断する。
保助のこの決断がなければ父も私も子孫たちもこの世に誕生していない。
なぜなら歴史を紐解いてみると明治35年と37年に奥州大飢饉が起こっていて農民はバタバタ餓死していたと記録が残っている。
このころ保助は移住を決断したのだろう。
人間はさまざまな場面で大きな決断をしなけれならない。
そして決断をしたならば腹を括らなければならない。
一度も会ったことがない曾祖父保之助に感謝。