祖父保市続き
祖父保市は自由奔放でコミカルな人だった。
祖母 正代との間に10人の子供がいるも家庭をかえりみず旅と遊び好きだった。
家族総出で3ヶ月もかけて焼いた炭を町まで売りに行き。大金を手にして気持ちが大きくなったのか、飲む打つ買うの豪遊して全額使ってしまうとか。
しばらくフラっといなくなったと思ったらヒッチハイクで旅をしたりとか。
私が生まれた頃はすでに隠居の状態だったがまだ幼い手のかかる子どもが4人もいる始末。長男であるまだ若い私の父 正治が育てる事になる。
そのために常に大家族で貧しかった。
「いつか栄えある富塚家を再興する」曾祖父保助の夢はその長男保市の代で遠くなり、さらにまた3代目正治で夢は消えた。
さらに4代目である私は北海道から遠く離れ神奈川で好き勝手に暮らしているのであーる。