アントニオ猪木
猪木さんについては語っても語り終える事がないほどである。
私が小学生の頃、金曜日8時と言えば誰もがプロレス中継に夢中であった。
力道山亡きあとの日本プロレスはジャイアント馬場がエースでNo.2はアントニオ猪木であった。若くスピードがあるファイトスタイルが子供ながらわくわくしたものだ。
その後わけがあってプロレスどころかテレビを見る事の無い時期が過ぎてなんとなくプロレスを見るようになったのは10年後の事だ。
その頃は猪木さんが新日本プロレスを発足させて、やはり金曜日8時のプロレス中継を復活させていた頃だ。
新国際軍団が新日に参戦し、長州が急に活躍しはじめ、タイガーマスクがアニメの世界からリングに登場した頃だ。
私は再びプロレスに夢中になりプロレス会場に通うようになった。
まだ前田明や高田延彦が前座の第一試合に出て来てガチガチの試合をしていた。
長州、前田、高田、少し遅れて武藤、橋本、蝶野、船木、彼らが前座時代を見てきたがその猪木の弟子たちがのちにそれぞれの団体のエースになった事はすごい事だ。
これは馬場さんにはできない事であった。
かつて猪木と馬場は同じ時期にプロレス入りして馬場さんは元巨人の投手で身長もあり力道山の後継者と期待されたエリートだ。
猪木は力道山にブラジルから連れて来られて力道山の付き人として毎日殴る蹴るされて何度も殺される寸前を耐えたクズのような扱いをされた若者が馬場さんに対抗意識が生まれて当然だろう。
馬場さんの王道プロレスに対抗するにはストロングスタイルや異種格闘技路線に走るしか馬場プロレスに勝てる要素がなかっただろう。
ジャイアント馬場がいなければその後の新日本プロレスはなかっただろう。