富塚保之助の blog

リアリティーな歌を創作し歌い上げるヴォーカリスト。

痛くて痛くて

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朝、腰のあたりが痛くなって我慢して仕事に向かったのだが、どうにもこうにも痛くて、そのうち痛みが腹のあたりに広がり、歩く事もできなくなる始末。

二時間ほど横になってもさらに痛みが増して気が遠くなりそうなので救急車に来てもらって救急病院へ。

痛み止めの点滴をしている間にCTスキャンを撮った結果「尿管結石」と判明。

救急医曰く、「ほら、ここに石があるでしょ、とにかく水分を採って石を出してください」そして痛みが治まったので帰宅。

コロナや何やらで忙しい病院の方々ごめんなさい。そしてありがとう。

しかし、石が出る時はものすごく痛いそうな。それが少し心配だが、大事に至らないで良かったのであーる。

夜中の戦い

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最近、私が眠りについてしばらくするとうちの裏あたりで猫たちの戦いが始まるのだ。

「フー」とか「フギャー」とか言って、その戦いは始まる。なかなかうるさい。

猫たちにしてみると春に続いて大事な恋の季節なのだろうか。

そして長い戦いが終わって勝ったオスだけがメスとの交尾の権利が得られるのだが、この交尾が長く果てしなく、うるさいのだ。

そして、私は、なかなか眠れない長い夜が続くのであーる。

電車の運転士さんになりたかった

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子供のころ日高線の運転士さんになりたかった。

日高線は電化されてなかったので正しくは電車でなくジーゼルなのだ。

ディーゼルエンジンで走る。

様似から苫小牧に向かって走ると左側は太平洋で右側はほとんど深い森なのだ。

美しい景色を見ながら仕事ができるなんて素晴らしい。なんて思ったものだが、なかなか進路が思うようにいかなくて、そのうちそんな将来の理想も忘れてしまったのだ。

この写真だが、まるで津波が来てほとんど流されたみたいな感じだが。そうではなく、もともと建物や人がいないのだ。

このような過疎の地域に鉄道は無用になってしまったのも仕方ないのかもしれない。

残念ながら。であーる。

感染拡大再び

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東京、札幌、大阪などで再び感染拡大している。

油断していた。日本は欧米などとは違ってほとんどの人がマスクをしてるし気をつけていると、根拠のない自信があった。

しかし、一方では朝まで飲み歩くバカ大人をちらほら見かけたものだ。

人間は酔うと、どうしてもマスクもしないで大声になるものだ。

こんな時でも「私だけは大丈夫」的な考えの人は確かにいる。

ウィルスは見えないだけにどこで感染するかわからない。

わからないだけに、感染する恐怖はつきまとう。しかし、大部分の人も、もちろん私も多数の人と接触して働かなければ暮らしていけない。

この経験したことのないコロナとの戦いはいつまで続くのか、暗澹たる気持ちだ。

"富塚保之助倶楽部 配信ライブ!@溝ノ口劇場" を YouTube で見る


https://youtu.be/TvHNqj7A1qc

富塚保之助倶楽部の溝ノ口劇場でのライブ

無事終了

やってる時は夢中で終わった直後は満足したのだが、数えきれない課題が見えてきて落ち込んだり今後を考えて奮い起ったりの日々なのであーる。

日高線廃止

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来るべき時が来たようだ。

日本における秘境のひとつ、日高地方を走る鉄道が廃止になる。

始発の様似から苫小牧まで、左側には太平洋が右手には深い森を見ながら何度か乗車したものだがついになくなるのはさびしい。まったくさびしい。

意外な事に地元民はさほどのさびしさは感じていないようだ。

あきらめの境地か、必要性を感じてないのか。

故郷を遠く離れた私らの方が、よりさびしく感じられるものなのか、よくわからないのであーる。

たとえ大赤字路線だとしても本数を極端に少なくしてなんとか残す事は考えられないものなのか、無責任にそんな事を考えてしまう。

私なのであーる。

東京タワーの独り言

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わしが東京タワーでござります。

昭和33年、この地に立って以来東京の街、いやさ、関東一円を眺めて参りました。

わしに塗られたこの色はインターナショナルオレンジと申しまして、当時の人々はこのなんだかはっきりしない色を見て、塗ってる途中だと思っていたそうな。

どっこい、あの北野武さんの父上の菊次郎さんも塗装に参加されたのですぞ。

それはそうとして。昭和33年と言えばわしのほかにもう一人デビューしたのでござります。

ミスタープロ野球、スーパースター長嶋茂雄さんでござる。

それまでのプロ野球は今現在のような注目されるスポーツではなかったのでござる。

六大学の早慶戦の方が盛り上がっていたのでござる。

立教から巨人軍に入ってデビューした長嶋さんの人気はそれはそれは凄いものでした。

この長嶋人気がこれまでのプロ野球人気を作ったのでござります。

いささか話はそれてござるが、わしと長嶋さんは同時期にデビューした東京のスーパースターだと言いたいのでござりまする。